2012年8月19日日曜日

「いじめっ子」を探しても見つからない理由。

朝日新聞で朝日新聞デジタル「いじめと君」というシリーズがあるのですが、連載の最後は、はるかぜさんでした。



《いじめている君へ》春名風花さん

http://www.asahi.com/special/ijime/TKY201208160557.html

「いじめがばれた時、いじめっ子が口をそろえて「じぶんはいじめてない」って言うのは、大人が言う保身のためだけじゃなく、その子の正直な気持ちじゃないかなと思います。 」





んで、↓の曲もそうですけど、いじめをする子とされる子の境界線は曖昧で、自分がいじめっ子という自覚をはっきり持ってる人はあんまりいないんじゃないかと思います。







匿名で3000人にとったアンケートです。

<いじめをしたこと、されたことありますか?>

http://getnews.jp/archives/235664





匿名で聞いても、いじめをしたことがあると答えるのは、9.5%だけなんですよね。

んで、いじめをしたこともされたこともある35.8%の人たちは、自分達を「いじめっ子」だと認識しないで、「普通の子」だったり、「いじめられた子」だったりと認識してるんだと思います。



いじめは、多数が少数にやることで、いじめられた子より、いじめた子のほうが多くいるはずなんですよね。





朝日新聞の連載に関して、伊集院光さんが下記のようなことを言ってたそうです。



『「自分も昔いじめられてました」って言うタレントはいても、「自分は昔いじめをしてました」って言うタレントはいない、所詮はそんなもの』



んで、運動能力の高いスポーツ選手や見た目のいいタレントさんたちは、いじめる側にいた可能性が高いんですが、「俺、いじめやってました」って言える大人は、ほとんどいないわけです。



大人が過去に自分達がいじめをしていたり、見過ごしてたことを認められないのに、子供に自分達がいじめをしてることを認めさせるとか、かなり難しいと思うのですよ。



僕の知る限り、いじめをする側として表現したのは、小山田圭吾さんぐらいです。



小山田圭吾さんがやったいじめ自体は悪いことですが、いじめをしてた事実をメディアで公表した大人としては評価できると思います。



「いじめをしたと告白すること」自体は評価しないと、子供もいじめをしたことを告白しなくなりますしね。



小山田圭吾における人間の研究

http://d.hatena.ne.jp/denpatiro/20061115/p1



■でも、いじめた方だって言ったじゃん。

「うん。いじめてた。けっこう今考えるとほんとすっごいヒドイことしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)だって、けっこうほんとキツイことしてたよ」



■やっちゃいけないことを。

「うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを食わしたりさ。ウンコ食わした上にバックドロップしたりさ」



via ひろゆき日記@オープンSNS。 http://hiro.asks.jp/87078.html

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