更新後から仕事が忙しくなり・・・そんな矢先母が旅立った。
後2か月もすれば77歳だった。
長く患っていた母なので、これでやっと楽になって父の元へ旅立てた。
そんな風にやっと思えるようになってきた。
急な旅立ち・・・。
お盆の最中、考えている余裕も無く、通夜・葬儀の準備。
実家の近くにいる私達夫婦が全ての手配をした。
葬儀場のスタッフの方が親身になって色々とアドバイスをして下さったので助かったのと、父の葬儀の時のうろ覚えの経験が少しは役に立った。
施設にいた頃、突然の時の為に葬儀の事は考えておいた方が良いというアドバイスがあった。
娘として不本意ながら重い腰を上げて少し前に父が葬儀をした互助会に仮入会を済ませたばかりだった。
これが幸いして、深夜の病院でも葬儀の手配はスムーズに行えた。
突然の出来事で誰もが動揺するけれど、結局家族が見送る準備をしなければ進まない。
アドバイス通り生前に心づもりだけしておいて良かったと痛感した。
私ももっと老いたら、自分の最後の事は自分で決めて子供達にお願いしておこうと思う。
お盆明けから仕事復帰。
9月中旬までに4会場のイベントを終えた。
ハードな日々だったが、そのお蔭で悲しみにくれるという事を忘れさせてくれた。
その間、初七日は葬儀の日に済ませたけれど、中陰法要は夫とふたりで行った。
人は死後、魂を清めて仏になる為に中陰の道を歩き、あの世を目指す。
その所々に審判の門があり、生前の罪が裁かれる。
罪が重いと魂を清めるため地獄に落とされるが、遺族が法要を行い、お経の声が審判官に届けば赦される。
それが7日毎に行う法要である。
7日毎に仕事を終え慌ただしく実家へ向かい、温かい御膳とお花と線香を手向け、1時間近く読経をあげた。
先代の住職のお経のテープがあるので、それに合わせて読経をあげることが出来た。
次は六七日(むなのか)。
月末に七七日(なななのか)(四十九日、満中陰)を迎える。
法要の手配も済ませた。
母の魂も少しずつ父の所に向かっているだろう。
母が亡くなった後は休み毎に実家へ足を運び遺品の整理。
足の踏み場のないほど買い集められた高価な衣類や鞄や靴、大量の寝具(買い物依存症によるもの)。
片付けられなくなって積み上げられた生活用品の山々で物が何もない所を探すのがやっとだ。
無数の植木鉢に占拠された荒れ放題の庭。
どうやったらこんなに多くの物を集められるのかと思うほど。
それらを休み毎に少しずつ片付けて行っている。
母が生前中は勝手に母の物を処分するという気持ちは起きなかった。
2階に上がる階段も歩けないほど空いたスペースに物が置かれ、どこから手をつけて良いのやら・・・。
そんな状態だったけれど、写真とか思い出の物以外は全て廃棄と整理の基準を決めた。
そうしないといつまで経っても片付けることは出来ない。
私が部屋を片付けている間、夫は荒れた庭の整理。
家の周りの庭も通路を確保しないと前へ進めない状態なので、まるで開墾して行っている様な状態。
夫は自身の足が無理出来ない状態なのに・・・。
供養から片付けまで一生懸命やってくれて本当に感謝している。
私独りでは絶対出来なかっただろう。
そんなこんなで、長かった夏にも終わりを告げて、少しずつ秋が来ようとしている。
私達も少しずつ普段の生活を取り戻しつつある。
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via かおり、離婚しました。 http://blog.livedoor.jp/illicitlove/archives/51899260.html
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