大相撲の尾車親方、元大関の琴風といった方が、
ご存じの方が多いかもしれません。
1年前の4月4日、巡業先の体育館にしかれていた
シートに足を滑らせ、転倒。
首から下がまひする重傷を負いました。
そのニュースは知っていたのですが、
先月、新聞の記事を見て驚きました。
1年ぶりの巡業に、怪我をする前と同じ、巡業部長として復帰。
土俵やお客さんの様子を見守っている写真が掲載されていたからです。
かなり痩せられてはいましたが、お元気でした。
1年前、倒れた時に、頭、首を強く打ち、
頸髄(けいずい)をいため、首から下が完全にまひ。
寝たきりになってしまったそう。
絶望から、自殺も考えたそうですが、
水さえも飲めない身体で、
自ら命を絶つことも出来なかったとのこと。
その後、手術が成功し、徐々に回復していったものの、
医者からは、車いすが手放せない生活になる
と言われたそうです。
痩せて骨が浮き、床ずれもできたようです。
弱音ははかなかった親方ですが、
お弟子さんは、発するうめき声の大きさで、
その痛みがどれほど強いものだったか、
察したそうです。
親方として、弟子に、常に語っていたのは、
「諦めたらいかん」との言葉。
言っていた自分が諦めてはだめと、
リハビリに力を入れ、寝たきりから、
車いす、そして杖をついての歩行ができるまでに回復。
こうして半年の入院生活を終え、退院されたとのこと。
自分は知らなかったのですが、
すでに2012年11月の九州場所から、復帰し、
協会の仕事をされていたのですね。
さらに、今年4月の新潟・長岡、また茨城・水戸での巡業に、
巡業部長として、帯同し、現場で指揮を執ったとのこと。
その姿がテレビ、新聞で報じられました。
尾車親方は、現役時代、
身体には恵まれていたものの、
怪我には泣かされました。
20歳の時、史上4番目の速さで関脇まで
スピード出世を果たします。
けれど、左膝の靱帯(じんたい)を損傷し、
今度は、幕下30枚目まで転落。
そこからはいあがり、再入幕、再関脇とカムバックしますが、
大関目前で、またもや左膝靱帯断裂、半月板損傷で休場。
再び、リハビリを行い、膝の故障を克服し、
1年がかりで土俵に復帰し、
1981年9月場所で初優勝。
大関に昇進しました。
まさに不屈の精神。
その精神で、今回も頑張られたようです。
現在は、床ずれの後遺症で座ると、お尻が痛み、
杖なしで歩けるようにはなったものの、指のマヒは残り、
箸を使っての食事はまだ難しいそう。
それでも、スマートフォンなら使えると、
仕事で、活用しているそうです。
尾車親方は、まだ現状に満足していません。
回復につとめ、元通りの身体に戻って、
「奇跡を起こしたい」と。
現役時代、「まわり道」という歌を出されています。
親方の人生はまわり道の人生のようですが、
いつもしっかり前に向かい、目的地についているように思えます。
誰もが尾車親方のように、強くはなれませんが、
その姿勢、精神に少しでもあやかりたいものです。
完全復帰されたら、親方の歌を聞きたいものです。
via 人生やり残しリスト http://yarinokoshi.blog.so-net.ne.jp/2013-05-02
ご存じの方が多いかもしれません。
1年前の4月4日、巡業先の体育館にしかれていた
シートに足を滑らせ、転倒。
首から下がまひする重傷を負いました。
そのニュースは知っていたのですが、
先月、新聞の記事を見て驚きました。
1年ぶりの巡業に、怪我をする前と同じ、巡業部長として復帰。
土俵やお客さんの様子を見守っている写真が掲載されていたからです。
かなり痩せられてはいましたが、お元気でした。
1年前、倒れた時に、頭、首を強く打ち、
頸髄(けいずい)をいため、首から下が完全にまひ。
寝たきりになってしまったそう。
絶望から、自殺も考えたそうですが、
水さえも飲めない身体で、
自ら命を絶つことも出来なかったとのこと。
その後、手術が成功し、徐々に回復していったものの、
医者からは、車いすが手放せない生活になる
と言われたそうです。
痩せて骨が浮き、床ずれもできたようです。
弱音ははかなかった親方ですが、
お弟子さんは、発するうめき声の大きさで、
その痛みがどれほど強いものだったか、
察したそうです。
親方として、弟子に、常に語っていたのは、
「諦めたらいかん」との言葉。
言っていた自分が諦めてはだめと、
リハビリに力を入れ、寝たきりから、
車いす、そして杖をついての歩行ができるまでに回復。
こうして半年の入院生活を終え、退院されたとのこと。
自分は知らなかったのですが、
すでに2012年11月の九州場所から、復帰し、
協会の仕事をされていたのですね。
さらに、今年4月の新潟・長岡、また茨城・水戸での巡業に、
巡業部長として、帯同し、現場で指揮を執ったとのこと。
その姿がテレビ、新聞で報じられました。
尾車親方は、現役時代、
身体には恵まれていたものの、
怪我には泣かされました。
20歳の時、史上4番目の速さで関脇まで
スピード出世を果たします。
けれど、左膝の靱帯(じんたい)を損傷し、
今度は、幕下30枚目まで転落。
そこからはいあがり、再入幕、再関脇とカムバックしますが、
大関目前で、またもや左膝靱帯断裂、半月板損傷で休場。
再び、リハビリを行い、膝の故障を克服し、
1年がかりで土俵に復帰し、
1981年9月場所で初優勝。
大関に昇進しました。
まさに不屈の精神。
その精神で、今回も頑張られたようです。
現在は、床ずれの後遺症で座ると、お尻が痛み、
杖なしで歩けるようにはなったものの、指のマヒは残り、
箸を使っての食事はまだ難しいそう。
それでも、スマートフォンなら使えると、
仕事で、活用しているそうです。
尾車親方は、まだ現状に満足していません。
回復につとめ、元通りの身体に戻って、
「奇跡を起こしたい」と。
現役時代、「まわり道」という歌を出されています。
親方の人生はまわり道の人生のようですが、
いつもしっかり前に向かい、目的地についているように思えます。
誰もが尾車親方のように、強くはなれませんが、
その姿勢、精神に少しでもあやかりたいものです。
完全復帰されたら、親方の歌を聞きたいものです。
via 人生やり残しリスト http://yarinokoshi.blog.so-net.ne.jp/2013-05-02
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